大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)84号 判決 1973年7月31日

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立

原告らは、「昭和四六年六月二七日に行なわれた参議院東京都選挙区選出議員選挙を無効とする。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二  原告らの請求原因

原告らは請求原因として次のとおり述べ、その補充として末尾添付別紙二準備書面(一)のとおり述べた。

一  原告らは、いずれも昭和四六年六月二七日に行なわれた参議院地方選出議員選挙における東京都選挙区の選挙人である。

二  右選挙は、次の理由によつて無効である。

すなわち、日本国憲法はその第一四条において一般に、法の下の平等について規定するほか、とくに選挙については、いわゆる「平等選挙」を強く保障している(同第一五条第三項第四四条等)が、選挙においては、いずれの選挙人の一票も他のそれと均等の価値を与えられなければならないと解すべきところ、右選挙においては各選挙区毎に「票の価値」に明白かつ多大な格差が存し、その格差は、平等選挙において制度上当然に許容されるべき程度を遙かに超えるものである。

したがつて、公職選挙法別表第二は、何らの合理的根拠に基づくことなく、住所(選挙区)の如何という関係において国民を不平等に取扱つたものであつて、明らかに日本国憲法第一四条の規定に違反するものであるから、右別表に基づいて昭和四六年六月二七日に行なわれた参議院地方選出議員選挙はいずれも無効のものである。

三  よつて原告らは、公職選挙法第二〇四条の規定に基づき、昭和四六年六月二七日に行なわれた参議院東京都選挙区選出議員選挙を無効とする旨の判決を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

第三  被告の主張

被告代理人は次のとおり述べた。

一  本案前の抗弁

本来、本件の如き議員定数の配分問題は、立法府の専権事項として司法審査の対象とすべきものではない。この点に関しては、原告挙示の最高裁大法廷判決において、斎藤裁判官が補足意見として述べられるとおりである。すなわち、仮りに、裁判所にその可否を判断すべき権限があると解するとその裁判所の権限は、僅かに、選挙の有効無効を宣言しうるにとどまるから、裁判所が無効を宣言した場合、さらに有効な選挙を行なうためには国会において公選法別表第二を改正しなければならないが、選挙無効に基く再選挙は、その事由が生じた日から四〇日以内に行なわればならず(公選法第三四条第一項)、しかも告示後投票日までには、少なくとも二三日の期間をおかなければならない(公選法第三四条第六項)から、改正のために残される期間は僅かの一七日に過ぎないのである。この期間内に国会を召集し、定数改正を論議し、議決することは実際問題として不可能なことに属するから、延々として無効な選挙を繰り返して行かざるを得なくなり、収拾すべからざる混乱が生ずることは明らかである。従つて本件の如き選挙区別議員定数の配分問題は司法審査の対とすべきではない。

二  本案に対する答弁および主張

(一)  原告ら主張の請求原因中一記載の事実および原告らの主張する投票の価値の三観点の数値についてはいずれもこれを認める。

しかし憲法および法律に関する原告らの見解については、これを争う。

(二)  仮りに、本件が司法審査の対象となるとしても選挙に関する事項は原則として立法府である国会の裁量権に属し、議員定数の配分の不均衡の問題も、その不均衡が選挙権の行使を無価値とするに等しいような極端な場合にのみ、これに基いて行われた選挙を無効とするに過ぎないものであることは、昭和三九年二月五日言渡の最高裁大法廷判決(昭和三八年(オ)第四二二号)に明らかなところである。しかして、本件が、かかる選挙権の行使を無価値とするに等しい場合に該当しないことは次の事実に徴しても明らかである。

(三)  参議院議員の定数の不均衡が問題となつた最近の裁判例は次のとおりである。

1 昭和三七年執行参議院議員選挙の東京都選挙区無効訴訟(昭和三八年(オ)第二二号昭和三九年二月五日大法廷判決)請求棄却

2 昭和四三年執行参議院議員選挙の東京都選挙区無効訴訟(昭和四三年(行ケ)第九八号昭和四四年七月九日言渡東京高裁第一五民事部)請求棄却確定

しかして、右いずれの場合も極端な不均衡の場合に該当しないとして請求が棄却されたものである。そこで本件を含め右二件の場合における各選挙区別の人口数の変動に基く選挙区別定数の是非を検討してみると、別記一の表(末尾添付別紙四)のとおりであつて、是正を要する選挙区及びその定数にはそれ程の変動はなく、更に本件係争の対象である東京都選挙区に限つて、これを検討してみると、是正(増加)すべき配当数は昭和三五年の国勢調査人口に基くそれと、本件直近の昭和四五年国勢調査人口に基くそれとは全く同数の八であつて、結局人口変動に基く本件不均衡の実体と前記二判例の対象となつた事件の場合のその実体との間には、問題とすべき程の相違はないものといわざるを得ないものであつて、この点から考えても、本件程度の不均衡はいまだ「極端な不平等」の場合に該当しないと断せざるを得ないものである。

(四)  更に、原告の主張する投票の価値の平等性に関する三観点の数値を前記昭和四三年選挙の場合の数値と比較してみると(カッコ内は四三年の数値)

(1) 同じ一票中に他の5.08(5.22)倍もの値打のあるものがあること、

(2) 「票値」66.67以上133.33未満という枠の外にはみ出るものが選挙人数で実に全体の45.35(44.95)パーセントにも及ぶこと。

(3) 全体の34.79(35.29)パーセントの選挙により当該選挙における選出議員の過半数支配を実現し得ること。

となり、右原告の主張自体からも昭和四三年の参議院議員の選挙の場合と本件の昭和四六年の選挙の場合との間に数値的に殆んど異動がないことが窺い知り得るものである。従つて、前記の如く、御庁第十五民事部において昭和四三年の選挙が「極端な不平等」の場合に該当しないと認定されている以上、数値的に変動のない本件の場合も、右同様「極端な不均等」の場合に該当しないことは、多言を要しないことであろう。

第四  被告の主張に対する原告らの反駁

原告らは、被告の主張に対し、末尾添付別紙三準備書面(二)記載のとおり陳述した。

第五  証拠の関係<略>

理由

(一)  本訴の適否について

原告らが、いずれも昭和四六年六月二七日に行われた参議院地方選出議員選挙における東京都選挙区の選挙人であつたことは当事者間に争いがなく、原告らが右選挙の日から公職選挙法第二〇七条所定の三〇日以内である同年同月二七日当裁判所に本訴を提起したことは、記録上明らかである。

ところで被告は、本件の如き議員定数の配分問題は立法府の専権事項として司法審査の対象とすべきものでない旨主張しその理由として、仮りに裁判所が本件選挙の無効を宣言しても、選挙無効に基づく再選挙を公職選挙法所定の四〇日以内に行なうために国会が公職選挙法別表第二を改正することは事実上不可能であるから、延々無効な選挙を繰り返すことになり収拾すべからざる混乱を生ずることが明らかであると述べているので、この点につき判断するに、本訴は公職選挙法第二〇四条に基づき昭和四六年六月二七日に執行された参議院東京都選挙区選出議員選挙の効力を争うものであるが、原告の主張するごとき事由により同条による訴を提起することができるか否かは議論の存するところである。しかしながら議員定数の配分は立法府である国会に委ねられた事項であるとはいえ、その配分は憲法上の平等条項に準拠してなされなければならないのであるが、国会が憲法の精神を没却してその裁量権を濫用し、全く不合理な議員定数の配分を行うとかあるいは国会の定立した議員定数の配分が人口比率その他の諸要素の変化により不均衡を生じ憲法の精神に背反するに至るなど、これらのことが客観的に一見明白となるような場合のありうることも想定されないではない。

ところで、選挙権は民主政治を基礎づける不可欠の基本的権利であることは多言を要しないところであつて、議員定数の配分は選挙人の選挙権の享有に直接影響を及ぼす基本的に重要な問題であるといわなければならない。

したがつて、前記設例のごとき事由を主張して、議員定数の不均衡が各選挙区間における投票価値の平等ひいては選挙人相互間の平等を侵害することを理由に司法的救済を求めた場合、議員定数の配分が国会の専権事項であることの一事をもつて直ちに裁判所の審査権の外にあるとすることは許されないものといわなければならない。

被告の主張するところは、本件に関し司法審査の範囲を制限する根拠として、判決の結果により、法律上の規定の不備に基づく実務上の混乱が発生する可能性のあることを援用するものであつて、その主張自体本末顛倒の議論というべきであり、被告の主張する事由は本訴請求の当否を判断するについて斟酌すべき資料とはなしえても、本訴を不適法とする理由にはならないからこれを採用しない。

(二)  本案について

原告らは、公職選挙法別表第二に基づいて昭和四六年六月二七日執行された参議員地方区選出議員選挙については各選挙区毎に「票の価値」に明白かつ多大な格差が存し、その格差は平等選挙において制度上当然に許容されるべき程度をはるかに超えるものであるから、右別表第二は何らの合理的根拠に基づくことなく住所(選挙区)の如何という関係において、国民を不平等に取扱つているものであつて、憲法第一四条の規定に違反し無効というべく、したがつて、右別表第二に基づいて行なわれた右選挙は無効である旨主張するので判断する。

(1)  憲法第四三条第二項および第四七条によれば、議員の定数、選挙区、その他両議院の選挙に関する事項は、法律でこれを定めることとされており、選挙における平等の保障については憲法第一五条第三項が公務員の選挙について成年者による普通選挙を保障し、同第四四条が選挙人の資格を法律で定めるにつき、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育または収入によつて差別することを禁止しているほかは、議員定数の各選挙区への配分を原告の主張する「投票の価値」の平等の原則に従つて、具体的には人口に比例して行うべきことを定めた規定は憲法上設けられていない。

しかしながら、普通選挙はすべて国民がひとして選挙に参加することを要請し、平等選挙は、何人の投票も平等の評価の下に扱われることを求めるものであつて、両者はいずれも憲法第一四条の要請する法の下の平等から派生するものと解せられる。選挙が地域を基礎とする選挙区毎に行われる現行選挙制度の下において、各選挙区における議員定数の配分が、その選挙母体となる選挙人の数に比例せず極端な不平等を生ずるに至つた場合には、間接的ではあるが、不平等選挙が行なわれたと同一の結果を生じ、憲法の要請する法の下における平等に反するものと解するのが相当である。

(2)  憲法が議員定数、選挙区等に関する事項は法律でこれを定めると規定し、何らの制限を設けていないことは前段判示のとおりである。

もとより議員定数の配分が選挙人の人口に比例しているか否かは、適正な配分について考慮すべき重要な要素であることは否定できないが、他の幾多の要素を加えることは憲法の禁止するところではない。議員定数の配分を決定するに当つては、特に参議院議員については憲法第四六条により三年ごとに半数改選の制度が採用されている以上各選挙区の議員数を人口数にかかわらず最低二人を更に低滅することが困難であること(公職選挙法別表第二については別表第一に付せられている直近に行われた国勢調査の結果によつて五年ごとに更正することを例とする旨の定めが設けられていない。)のほかにその制度上各選挙区の大小、歴史的沿革、地理的社会的な諸条件等を全く無視することのできない事情があるものといわなければならない。原告らは右のごとき要素は選挙区割について考慮すべきであつて、各選挙区への議員定数の配分ないし割当には関係がないと主張するけれども、選挙区割について従来の行政区画と関係なく根本的な改革をするのならば格別、現在のところ、選挙の管理執行に当つては在来の行政区画を基礎として選挙区を決定するのが便宜かつ必要であると思われるから、議員定数の配分について右の諸要素を議論の埓外にある事項とすることは到底できないものといわなければならない。

ところで、右の諸要素を勘案して議員定数の配分をどのように定めるかは立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であつて国会の裁量に委ねられているところであるが(最高裁判所昭和三九年二月五日大法廷判決、民集一八巻二号二七〇頁参照)、右の諸要素を勘案するに当つて国会が憲法の趣旨に反してその裁量権を濫用し、全く不合理な議員定数の配分を行つたり、また人口の都市集中にともない著しく不均衡な状態を生じているにかかわらず、なんらの改訂もしないまま放置していることが客観的に明白である場合には、裁判所としてもそのような議員定数の配分を違憲無効と判断することができると解すべきである。前記最高裁判所大法廷判決も不均衡の程度によつては違憲問題の生ずることのあることを示唆しているが、どの程度の不均衡を生じた場合に違憲無効の判断を下すことができるかについては明確な客観的基準を示していないのであるから、公職選挙法別表第二所定の議員定数の配分が選挙人の人口に比例していないという一事のみで憲法第一四条第一項に反し無効であると断ずるについて極めて慎重な考慮を必要とする。

しかしながら、その不均衡が、国民の選挙権は平等でなければならないという基本的理念の下において、制度上許容されるべき合理的な限度をはかるに超え、国民の正義衡平の観念に著しく反する程度に至れば、もはやその一事のみでも憲法上国会に委ねられた裁量権の限界を逸脱したものと判断するに十分であつて、憲法第一四条第一項によつて保障された法の下の平等に反し違憲無効たるを免れないものと解すべきである。

(3)  そこで、原告らの提出にかかる参議院地方選出議員選挙実態分折資料(一)および(二)ならびに原告越山康本人尋問の結果によれば(右資料に記載されている事実は当事者間に争いがない)、公職選挙法別表第二の定めた選挙区別の配分が各選挙区の人口に比べて不均衡なものであることは明らかであり、特に東京区の票の価値(配分議員数の当該選挙区の選挙人数に対する割合と全国総議員数の総選挙人数に対する割合との百分率、以下票値という)47.27は全国で最小の票値であるが、これと最大票値の鳥取区の240.02との比は1対5.08となり(なお、東京区の次に票値の低い神奈川区および大阪区の場合でも鳥取区との比はそれぞれ1対4.81、1対4.38である。)、前記大法廷判決において審理の対象となつた昭和三七年七月一日執行の参議院地方選出議員選挙における両者の比1対4.09に比べてその格差が更に開いているのみならず、同じ一票中に他の5.08倍(神奈川区、大阪区の場合はそれぞれ4.81倍、4.38倍)もの価値のあるものがあることは、不均衡の程度がきわめて著しいことを示すものであり、前叙の基準に照らせば、この一事のみをもつてしても、右別表第二が、今日なお違憲無効のものでないと断定することは困難であるというべきであり、国会において近い将来、現情勢に即応して、不均衡を除去するため、何らかの改訂が行なわれることを期待せざるを得ないのである。

(4)  進んで原告らの選挙無効の主張について判断するに、公職選挙法第二〇五条第一項によれば選挙に関し訴訟の提起があつた場合において、選挙の規定に違反することがあるときは、裁判所は選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合に限つて、その選挙の全部または一部の無効の判決をしなければならないと定められている。これを、本件選挙の有効無効の問題について見れば、前示違憲の疑いのある右別表第二を適用して執行されてた本件選挙についてその手続に違法があるものと解するにしても公職選挙法の定める再選挙は、これを行なうべき事由が生じた日から四〇日以内に行なうべきものとされており(同法第一〇九条第四号、第三四条第一項)、本作の場合公職選挙法(別表第二)の改正を行うには再選挙の告示後投票日までには少くとも二三日間の期間を置かなければならないから(同法第三四条第六項)、改正のために残された期間は一七日間に過ぎず、この期間内に改正を行うことは事実上不可能であり、しかも違憲の疑いがあると判断された現行法の別表第二に基づく再選挙は許されるべきではなく現行法上他に執るべき方法は考えられないのであるから結局本件選挙の本件選挙の違法は、選挙の結果に異動を及ぼす虞がないものと解すべきであり、前示法条に該当しないものとして原告の本件選挙の無効の主張はこれを排斥するほかないのである。

(三)  結論

以上の理由により本件選挙を無効とする旨の判決を求める原告らの本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。(杉山考 加藤宏 園部逸夫)

別紙一

当事者目録

東京都目黒区上目黒三丁目一八番五号

(右送達場所)

東京都港区西新橋一丁目四番一二号長尾ビル三階越山法律事務所

原告 越山康

右訴訟代理人弁護士 山口邦明

東京都豊島区南長崎一丁目五番一三号

(右送達場所)

東京都千代田区得田駿河台三丁目九番地

中央大学法学部研究室

原告 佐竹寛

東京都大田区南雪谷二丁目一七番八号

(右送達場所)

東京都渋谷区代々木二丁目二一番一一号婦選会館内日本婦人有権者同盟

原告   松補三知子

<外六四名>

選定当事者      近藤マガラ

東京都世田谷区豪徳寺二丁目一四番一〇号四二四

(右送達場所)

東京都渉谷区一丁目一七番七号全国婦人会館内

東京都地域婦人団体連盟

原告   田崎敏子

<外一〇名>

選定当事者     山高しげり

東京都新宿区若葉一丁目二〇

(右送達場所)

東京都千代田区六番町一五 主婦会館内

主婦連合会

原告   春野鶴子

<外四八名>

選定当事者     中村紀伊

東京都小金井市東町一丁目三七番二四号

(右送達場所)

東京都新宿区霞々丘町一一番 明治神宮外苑日本青年館内

日本青年団協議会

原告   島田清隆

<外三名>

選定当事者     神田芳晃

東京都国分寺市西町一丁目三番一五号

(右送達場所)

東京都国分寺市西町一丁目三番一五号

福本方 全国政治をよくする会

原告   原田智章

<外四名>

選定当事者     福本春男

東京都港区白金四丁目四番一〇号

(右送達場所)

東京都渉谷区代々木二丁目二一番一一号 婦選会館内

理想選挙普及会

原告   小林玄勝

<外二八名>

選定当事者     森下文一郎

東京都新宿区西大久保二丁目二三四番地

(右送達場所)

東京都世田谷区赤提三丁目二〇番一四号 水口方

私は有権者の会

原告   吉住利雄

<外五名>

選定当事者     春日慎一

東京都千代田区有楽町二丁目一三番地東京交通会館

被告   東京都選挙管理委員会

右代表者委員長   藤田考子

右訴訟代理人弁護士 鎌田久仁夫

右指定代理人    富田禎哉

<外二名>

選定者目録<省略>

別紙二

原告準備書面 (一)

第一、序論

日本国憲法はその前文冒頭において日本国民が正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する旨を謳つている。いうまでもなく選挙、就中、国会議員選出のそれは、国民がその主権を行使する直接かつ具体的な機会のうち最も重要なものであり、議会政治に立脚する民主政治の、正に、生命をなすものである。国民各自が正当な選挙によつて代表者を選定すること、すなわち、公正な制度の下において行われる選挙において何人からの干渉をも受けることなく、自由にその代表者を選出することが確保されて、はじめて民主政治はその本来的機能を発揮し得べきである。

さて、「選挙法は一国、民主政治のパロメーターである。」といわれるが、本件は議員定数の各選挙区への配分を規定している公職選挙法別表第二が憲法第一四条の規定に違背するものであることを理由に昭和四六年六月二七日に行なわれた参議院議員選挙のうち東京選挙区選出議員選挙の無効を主張するものである。

しかして、この種の事案については、最高裁判所大法廷がすでに昭和三九年二月五日、昭和三八年(オ)第四二二号選挙無効請求上告事件につき判断を下しているが、右判示においては、代表民主制下の議員定数配分に関する基本的な理論ないし原則に対し充分な検討がなされていない憾みがあるのみならず、その後の人口の移動・変動は当時の状勢に比し著しいものがあるから、原告等はここで最も基本的な問題にまで立返つて検討する。

第二、議員定数配分に関する人口比例の原則について(注一)

一、前記大法廷の判示するところを要約すれば、

(一) 憲法が両議員の定数(第四三条第二項)、選挙区その他に関する事項(第四七条)については特に自ら何ら規定せず、法律で定める旨規定した所以のものは、選挙に関する事項の決定は原則として立法府である国会の裁量的権限に委せているものと解される。

(二)したがつて、

(1) 国会は法律をもつて、参議院の選挙区を全国区と地方区とに区別すること、またこれらの区別を廃止することも、

(2) さらには、地方区の議員を各選挙区に如何なる割合で配分するかということ等を適当に決定する権限を有する。

(三) そして憲法第一四条、第四四条その他の条項においても議員定数を選挙区別の選挙人の人口数に比例して配分すべきことを積極的に命じている規定は存在しない。

(四) 議員数を選挙区に配分する要素の主要なものが選挙人の人口比率であることは否定できないところであるとしてもそれは法の下の平等の憲法の原則からいつて望ましいというにすぎず、他の幾多の要素を加えることを禁ずるものではない。

(五) たとえば、

(1) 憲法第四六条の参議院議員の三年ごとの半数改選の制度からいつても、各選挙区の議員数を人口数に拘らず現行の最低二人を更に低減することは困難であるし、

(2) その他選挙区の大小、歴史的沿革、行政区割別議員数の振合等の諸要素も考慮に値することであつて、これを考慮に入れて議員数の配分を決定することも不合理とはいえない。

(六) 前記(一)のとおりである以上、選挙区の議員数について選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合は格別、議員数の配分が選挙人の人口に比例していないという一事だけで憲法第一四条第一項に反し無効であると断ずることはできない。

(七) そして所論のような程度ではなお、立法政策の当否の問題にとどまり、違憲問題を生ずるとは認められない。

というのである。

二、さて、われわれはここで議員定数配分に関する人口比例の原則について論議するのであるが、それに先立ち「選挙区割」の問題と「区割された各選挙区への議員定数の配分」の問題とが明確に区別されるべきものであることを指摘しておかなければならない。従来、ややもするとこの両者を混同し、または区別せぬままに、等しく「議員定数の配分」なる論題の下にこれを論じ勝ちであつた。例えば、前記大法廷の判示においても選挙区の大小、歴史的沿革、行政区割別議員数の振合等を、「各選挙区への議員定数配分」の要素として考慮に値するものと説く点は、正しくこれに該るものである。けだし、これらを「選挙区割」について考慮するというのであれば、それは容易に納得し得るのであるが、もしこれらを「各選挙区への議員定数配分」についても考慮するというのであれば、それは容易には理解し得ないところ――上告人はとくにその点を論じていた――であるから、何らかの説得的理由が掲げられるべきだからである。

「選挙区割」は「(すでに区割された)各選挙区への議員定数の配分」の論理的前提ではあるが、両者は本来全く別個の問題であり、本件において問題とされ、かつ、ここで論ぜられるべきものは、「選挙区割」とは右の意味以外全く関連性のないところの「各選挙区への議員定数の配分ないし割当」の問題なのであり、したがつて、全国をいくつかの選挙区に分つべきか、いくつかの選挙区に分つにあたつていかなる要素、いかなる観点が参酌されるべきかというがごとき問題はわれわれの議論の将外にある事項に属するものである。

三、さて、国民の代表者たる国会議員を人口に比例して選出すべきことは近代民主政治の基本原理であつて、たんにその旨の文言を含む規定の存否というがごとき形式的理由によつて排斥され得べき事項ではなく、また、選挙に関する法律事項の規定(法憲第四七条)についてもそれが憲法第一四条第一項の規定に反する法の定立を許容する趣旨に出たものでないことは全く疑いを容れる余地のないところであるから、これまた前記の人口比例の大原則を否定する論拠とは到底なり得ないものといわなければならない。

そもそも、憲法第一四条第一項は、所謂民主主義的、個人主義的理念に照し合理性を欠く差別がたんに「法の適用」の面においてのみならず、また、「法の定立」の面においても、さらに、同項後段列挙以外の事由によつても、一切、これを禁止する趣旨を宣明したものである。したがつて、日本国民たる者は、右の意味において合理的と認め得る場合を除き、他の日本国民と全く差別されることなく平等の立場で選挙権を行使することを保障され、立法府が選挙に関し恣意的な法を定立することは全く許されていないのである。

四、はたしてしからば、憲法第一四条第一項は、選挙に関し、就中、議員定数と選挙人数との関係につき、如何なる具体的内容を有するものであろうか。

われわれは、ここで、「選挙の歴史は近代民主政治のそれでもある」という言葉に想いを致そう。まこと、選挙権の「資格要件」の平等に関する「普通選挙」の獲得、「投票の数」の平等に関する「複数投票制」の克服の過程は、ともに、それを物語つて余りあるものである。しかしながら、選挙に関する平等は、たんに右の二事項に関する平等のみによつては、すなわち、さらに各選挙人の「投票の価値」の平等が確立されない限り、決して実現され得ないものである。けだし、各選挙人に一票づつの投票権を与えながら、ある者の一票が他の者の数票に相当する価値を有する場合には、そのある者に数票、他の者に一票の投票権を与えたと全く同一の事態を招来することになるからである。しかして、この理は、近時「一人一票」原則(“one man one vote”principle)の概念内容に「投票の価値」をも包摂せしめてこれを説く例(注二)の少ないことによつても、充分に裏付け得るのであつて、わが憲法第一四条第一項が選挙に関して要請する「平等」が「投票の価値」の平等、したがつて、議員定数を人口に比例して配分すべきことをも、当然に意味するものと解さなければならないものであることは極めて明白である。(注三)

以上を要するに、議員定数の各選挙区への配分に関する限り、それが立法府の自由な裁量に委ねられているかのごとく説くことは明白な誤りといわなければならない。(注四)・(注五)

(注一) 議員定数の配分についての立法技術としては、人口を基礎とする方法と選挙人口を基礎とする方法とがある。しかして、代表民主主義の理論から厳密にいえば、後者をもつて正当としなければならないが、人口と選挙人口とはほぼ等しい比率を示すものとの前提に立てば、ここでこの点を議論する実益はない。したがつて以下の論述における「人口」は「選挙人口」と厳格に区別して用いられたものではない。なお、「投票の価値」の軽重を論ずる場においては、当然に、「選挙人口」(有権者数)のみが論議の対象とされねばならぬことおよび人口と選挙人口との比率につき、可成りの地域的凹凸が現存することを参考までに附記する。(第二次選挙制第審査議会の近畿地方公聴会における原龍之助公述人の意見(朝日新聞昭三八・三・二付朝刊)、清水馨八郎「戦後日本の選挙の実態」昭三三古今書院各参照。)

(注二) Israel On Charting a Cou-rse through the Mathematical Quag-mire The Future of Baker v. Carr, 61 Michigan L. Rev., note 35 at 114(1962)

(注三) 同旨―芦部信喜「議員定数不均衡の司法審査」ジュリスト第二九六号(一九六四年四月一五日号)、同「議員定数是正論議の回顧と問題点」(同第三〇四号(同年八月一五日号)

(注四)  第二次以後の選挙制度審議会においても、「人口偏差につき議論論がなされているが、(第二次同会記録四〇六頁以下参照)これは、当然に、「投票の価値」の平等、したがつて、議員定数の人口比例原則を前提としているものである。

(注五) 前記の大法廷判例の説くところ必ずしも分明ではないが、違憲の評価を受けるべき「不平等」が「投票の価値」、したがつて、「議員定数の人口比例」の観点から生じ得るとしていることだけは明白である。けだし、「選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合」には、裁判所がその議員定数配分法に対して違憲判断を下し得ることを示唆しているからである。

第三、選挙区別議員定数と選挙人数との間の不均衡を許容し得る理由とその限界について

一、われわれは、議員定数配分の人口もしくは選挙人口との関係が、具体的な違憲論争においては、右述のごときたんなる抽象的原則論のみでは解決し難いものであることを承認するにやぶさかではない。けだし、「投票の価値の平等」といい、また、「議員定数人口比例の原則」といつても、「制度」として非合目的的・非実践的なものが要求される道理は全くないからである。そこで、われわれは、選挙区別議員定数と選挙人数との間の不均衡が、憲法第一四条第一項との関連において、いかなる理由およびいかなる限度で、容認され得べきかについて検討を加えたい。

二、さて、地域はもとより人口ないし選挙人数の点においても大小あるいくつかの選挙区の存在を前提とせざるを得ない以上、各選挙区の人口または選挙人数がそれぞれつねに整数比を示すことは到底期待し得ない。したがつて、議員定数配分にあたり、端数処理という技術的な理由から若干の不均衡が選挙区別の議員定数と人口ないし選挙人数との間に生ずることすなわち、「投票の価値」の不均等が生ずることは避け難い。

また、立法後当該選挙までの間における人口の移動変動に伴い各選挙区別選挙人数の変動が生じ、もつて、立法当時以上の不均衡がその間に発生することも避け難いところである。(注一)

しかして、かかる事由は、いずれも、ここで論ずべき議員定数に係る不均衡を許容し得るものとしては、何人もが異論をさしはさみ得ないものであろう。しかしながら、右以外、例えば選挙区の大小等の地理的要素、さらには前記判例の所謂歴史的沿革、行政区画別議員数の振合なる要素は、それら単独では、右述の不均衡を是認する理由ないし根拠とはなり得ないといわなければならない。けだし、国民の選挙権と関係のない要素を重視することによつて選挙権を実質的に制限するには、その要素が憲法所定の平等原則の保障を奪うに足る価値あるものであることについてよほど強い正当性の証明を必要とすると考えなければならないからである。(注二)

総じて、各選挙区間における「投票の価値」の平等が憲法第一四条第一項の一適用であることを承認する限り合理性ある理由に基く不平等取扱は、これを容認すべきものである。しかしながら、選挙権、就中、国会議員選挙におけるそれは主権在国民のわが憲法下においては、国民にとつて最も重大な基本的権利の一つであるから選挙区別の議員定数と選挙人数との間の不均衡――「投票の価値」の不平等――はこれを許容し得るとしても、そのよつて生ずる理由は何人にも首肯せられ得べき真にやむを得ざるものでなければならないのみならず、その限度には自ら一定の限界が存するものというべく、その限界を超えた不均衡を是認する法令は、その不均衡を生ぜしめた原因・理由のいかんを問わず、選挙という重大事の公正を担保し得ないものというべく、したがつて、憲法の前記条項に違背するものとして無効の評価を受けるべきものといわなければならない。(注三)

三、そこで、われわれは、選挙区別議員定数と選挙人数との間の不均衡、換言すれば「投票の価値」の不均衡等が憲法上許容され得べき程度について若干の考察をすることとする。

「人格がすべての人間について平等」であるというのが憲法第一四条第一項の基本理念であるならば、少くとも一人に他の二人分以上のものを与えることは均分的正義に反し許されないといい得るかとも思われる。しかしながら、この論議は、ここではいささか大ざつぱすぎるようでもある。われわれは結論を急がず、ここでこの種の問題について永い間苦しみ続けた末さきごろようやく光明を見出したかに見えるアメリカ合衆国の裁判例・学説に目を転じ、そこから何らかの示唆を得よう。

アメリカ合衆国において論じられた「投票の価値」の平等に関する憲法適合性の数理的限界基準は、決して二、三にとどまるものではないが、概ね次の三観点からのものによつて代表させ得る。すなわち、その一は、単純に二つの投票の価値」を比較する方法であり、(注四)その二は、理論上最も適正な一票の「価値」を中心にしてその上下に若干の幅をもたせた枠を設定しすべての票がその枠内に入るかどうかを検査すを方法、(注五)その三は、過半数議員の選出に要する最少選挙人数の選挙人全国百分率を算出する方法(注六)である。

しかして、これらの示唆に富む方法は、いずれものちほど本件選挙の実態分析のテストの際に用いる所存であるが、法の下の平等ないし平等保護条項上許容され得る「投票の価値」の不均衡の程度は、必ずしも明確な数理的基準が裁判上で示されることによつてのみ決定されるとは限らない。すなわち、それは違憲または適憲と判断された裁判例における具体的事案の検討によつても得られるものである。この点に関してアメリカ合衆国最高裁判所が、一九六四年二月一七日、ジヨージア州選出の連邦下院議員の定数配分法(州法)が争われた事案に対して、正に、注目すべき判決を下しているのでここにその判決文の一部を引用することとする。(注七)

「一人の議員が他の選挙区選出の各議員により代表される選挙人の二倍ないし三倍を代表している。該議員配分法はある票の価値を縮め、他の票のそれを拡げている。連邦憲法が有権者は連邦議会議員を選挙する場合には各票が他のいずれの票とも同量のウエイトを与えられることを意図しているものならば、該法はその効力を有しないものである。われわれは次のように考える。すなわち、その歴史的関連において解釈すると、連邦下院議員を『各州民によつて』(注八)選挙すべしという第一条第二節の要請は選挙における一人の票が他のいずれのそれとも、実行し得る限りにおいて可及的に同価値であるべきことを意味する。(注九)………一票がある選挙区において他の選挙区におけるより価値が高いということは、わが民主政治に関する基本理念に悖るのみでなく、それは『人民によつて』(注一〇)選挙される連邦下院という憲法議会において粘り強く闘い求められて確立された原則を放棄するものである。連邦憲法の歴史、就中、第一条第二節採択に関連ある部分は、連邦憲法の制定者たちが選挙機構の何たるとを問わず、すなわち、全州一区制であろうと、はたまた複数選挙区制であろうと、連邦下院の基盤たるべきものが人口であることを意味したことを明らかに示している。(注一一)」

さて、右判旨からは、前記第一の手法につき「投票の価値」の比一対二の場合すら平等則に反する、したがつて、その限界基準は一対二未満で示されるべきものと解し得る。また、同第二の手法につき、その後の学界における論評は、右判旨を理論上最も適正な一票の価値の上下各一五パーセント程度をその限界基準としているものとしているのである。

(注一) 立法府は、各選挙区の選挙人数の変動に対して、あるいは議員定数に、あるいは選挙区割に改訂を施すなどの措置を講じ、もつて選挙区別の議員定数と選挙人数との間に発生した不均衡を是正するための真撃な努力を払うべきであるが、予見不能の突発的人口の増滅、国勢調査に要する費用と労力など、その時々、それに対処すべき諸事情を考慮に入れれば、ある選挙時に不均衡が存在したという一事のみによつて立法府の不作為がつねに問題とされねばならぬわけではなく、また、原告等も本件においてそのような立法府の不作為の違法自体を争うものではない。

(注二) ほぼ同旨―前掲芦部「議員定数是正論議の回顧と問題点」。

(注三) たとえ不可抗力によるにせよ、選挙の公正が害されたと目すべき場合には、当然に、その選挙を無効と断ずべきであり、このことは、選挙無効原因が、結局において、選挙の公正を担保し得ないまたはその虞あることに帰着すべきことを示すものであつて「投票の価値」の不平等の問題もその一適用場面にすぎないというべきである。

(注四) この手法に拠りつつ「投票の価値」の比一対二を限界基準と説く例は少くない。例えば、Scholle v. Hare. 369 Mich. 176, 116 N.W. 2d 350,353(1962)MacDougall v. Cre-en 335 U. S. 28 1,288(1948)

(注五) この手法については連邦下院議員E・セラー案が有名である。なお、Lewis, Legislative Apportionment 71 Harv. L. Rev. 1084(1957-58)参照。

(注六) この手法により、選挙人全国百分率四〇パーセントを限界基準と説くのは、Goldberg, The Statistics of Malapportionment 72 Yale L. J. 90(1962)

(注七) わが憲法論に、直ちにアメリカ合衆国の議論を持込むことは確かに一考を要するところではある。しかし、少くともここで論点に関する限りにおいては、被我の法制に全くかかわらない普遍的真理を説く部分は、これをそのまま受入れて然るべきものである。

(注八) “by the people of the sev-eral”States

(注九) Wesberry v. Sanders, 32 U. S. Law Week 4142, at 4143(1964)

(注一〇) “by the people”

(注一一) Ibid., at 4144

なお、本事案の概略および判決要旨については、越山康「議員定数配分の違憲審査について」(法律のひろば第一七巻第五号―昭三九・五・一)参照。

第四、参議院地方選出議員選挙の実態分析にみる議員定数配分の不均衡の変遷について

一、公職選挙法(昭和二五年法第一〇〇号)別表第二は同法の前身である参議院議員選挙法(昭和二二年法律第一七号)の別表をそのまま受継いだものである。しかしてその別表は、行政区画主義と人口比例主義に拠つて作成されたものである。この点をやや具体的に述べれば、選挙区割については既存の行政区画である都道府県をそのまま用い、定数配分については、地方選出議員総数を一五〇名とした上、当時最新の人口調査の結果に基づく全人口を一五〇で除して得た数で各選挙区の人口を除して算出した数を、各選挙区の定数を偶数とするとの前提の下に四捨五入的手法によつて整数化したものであつた。

この方法によつて選挙区画および定数配分を決定したこと自体の当否はさておき、そこで作成された右別表が各選挙区毎の定数と人口の割合を一定化すべしとの所謂「人口比例の原則」という憲法上の要請に沿つたものであつたことは承認されるべきである。

しかるに、戦後のはげしい人口の増加・移動、就中、大都市集中化現象にもかかわらず定数配分の改訂を怠つたため、定数のアンバランスは選挙の回数を追つて著しくなり、立法当初から数えて二四年の永きを経て執行された本件選挙においてはまことに憂うべきひずみを生じさせるにいつたのである。

二、原告等は、ここで昭和二二年四月二〇日執行の第一回目から昭和四六年六月二七日執行の第九回目(本件選挙)まで合計九回の選挙につき、定数のアンバランスの実態の変遷を、前掲三つの手法により分析し、もつて本件選挙が無効とされるべきものであることを論証せんと試みるものであるが、それに先立ち、一票の「価値」の比較を容易ならしめるため、便宜上、「票値」という言葉を用いるので、その説明から始めることとする。

「票値」とは、各選挙区における議員一人あたりの選挙人数を比較するという観点から考案されたもので、今、簡単な数例を挙げて説明すると、議員一人あたりの選挙人数が一〇万人の選挙区とそれが二〇万人の選挙区とを比較すると、前者の一票の「ウエイト」ないし「価値」は後者の二倍に相当するといい得る。したがつて、仮りに前者の一票の価値を一二〇という数値で示せば、後者のそれは六〇という数値で示されるべきである。次に、全国に一、〇〇〇万人の選挙人がいて一〇〇人の議員を選出する場合を想定すると、そこでの議員一人あたりの選挙人数は一〇万人ということになるから三人区なら三〇万人、五人区なら五〇万人の各選挙人を有する選挙区があれば、それらはいずれも理論上最も適正な「価値」を有する票を行使し得る選挙区ということになる。そこで、そのような選挙区の一票を一〇〇という数値で示すとすれば、比例算を用いて各選挙区における一票の価値が算出し得るわけである。(例えば、議員一人あたりの選挙人数が二〇万なら五〇、それが五万なら二〇〇である。)かように理論上最も適正な票の価値を一〇〇とした場合、各選挙区の票――同一選挙区内の票はいずれも同価値――の価値を比例算を用いて算出して得たものをその選挙区における「価値」と名付けることとする。

三、さて本件選挙の実態分析の結果は、本書面末尾に添附した「参議院選出議員選挙実態分析資料(一)」および同(二)の記載のとおりであるが、ここで要点を指適すれば、

(一) 最小票値は整理番号四六の東京区の四七・二七(前記大法廷判決において審理の対象となつた昭和三七年七月一日執行の参議院地方選出議員選挙においては、同じく東京区の50.56――以下、本項における括弧内は右選挙におけるものを指す。)、最大票値は整理番号一の鳥取区の240.02(同区の206.66)であるから、両者の比は1対5.08(1対4.09)である。

(二) 参議院議員の三年ごと半数改選制度を考慮に入れて、上限票値133.33、下限票値66.67の枠を設定してみると、票値66.67未満のものは前記東京区をはじめとする三選挙区――整理番号四四ないし四六――であつてその選挙人合計は一七、〇四二、六一四、その全国百分率は23.94パーセント(20.82パーセント)、票値133.33を超えるものは前記鳥取区をはじめとする一九選挙区―――整理番号一ないし一九――であつてその選挙人合計は一五、二三八、七〇四、その全国百分率は21.41パーセント(18.79パーセント)である。

(三) 改選議員総数七五人の過半数たる三八人の議員の選出には鳥取区以下広島区――但し、広島市については計算上二分の一のみ算入――にいたる二八選挙区――整理番号一ないし二八――にて可能であるから、その選挙人数合計二四、七三二、七六三を全国百分率で示すと34.75パーセント(38.32パーセント)となる。

しかして、以上三つの事実は、

(1) 同じ一票中に他の5.08、(4.09)倍もの値打のあるものがあること。

(2) 「価値」66.67以上133.33未満という枠の外には出るものが選挙人数で実に全体の45.35パーセント(39.61パーセント)にも及ぶこと。

(3) 全体の34.75パーセント(38.32パーセント)の選挙人により当該選挙における選出議員の過半数支配を実現し得ること。

をそれぞれ示しているのである。したがつて、本件選及の基盤となつた議員定数配分に対して、現在ほぼ異論なく認められている数理的基準を適用すれば、いずれの観点からも大幅に落第というのほかなく、そのよつて来つた理由の如何にかかわらず、本件選挙時における公職選挙法別表第二は憲法上の平等条項に牴触する程度に不都合なものであつたことは明白である。

第五、「選挙権の侵害」との関連について

一、本件は、法制上、所謂民衆訴訟の形態で争われ、したがつて、国民の権利侵害が直接前面に押し出されることはない。しかしながら、ここでの実質的な争点は、実に選挙権の侵害の有無に存する。しかして、これはいかに強調されても強調されすぎるということのない事項である。かのアメリカ合衆国最高裁判所も、前掲ウエスベリー事件に対する判決において、とくにこの点を繰り返し強調し「選挙権はわが自由社会においては極めて重要なものであるから」連邦憲法第一条が選挙に関する基本事項を立法府の専権に属しめたとの解釈によつて「その司法的保護を奪われるべきものではない」と判示したのであつた。(注一)また、選挙権が民主国家の存立にとつて不可欠の権利であつて謂わば「すべての権利の保全のためのものなるが故に根本的な政治的権利」(注二)であることは今更多言を要しない事項である。さらに、それ故にこそ、その侵害が問題とされる事案においては「一層きびしい司法的精査」(注三)が要求されなければならないのである。わが参議院議員定数配分に関する公職選挙法別表第二は、今やその存在ないし適用が堪え難き程の不当性を生ぜしめていることはすでに検討したところからも明らかである。なるほど参議院制度には、三年毎の半数議員改選という憲法上の要請からくる定数配分技術上の制約があるであろう。しかしながら、すでにみたごとき程度にいたつた一部国民の差別取扱いは制度上当然に許容されるべき合理的な限度をはるかに超えるものであつて、到底これを是認することはできないものといわなければならない。制定時においては適憲即有効の法令もそれが適用されるべき条件の変化によつて違憲即無効の存在と化し得るものであることは、かのブランダイス判事の言(注四)をまつまでもなく、至極当然のことである。

しかして、わが憲法は国会議員の選挙に関する事項を立法府たる国会が定めるべきものと規定しているが(第四七条)「議員定数不当配分」(注五)の問題は、正に、「立法府によつては癒すことのできない病い」(注六)である。

この問題については、アメリカ合衆国においてすら、「政治の繁み」に立入ることなかれと説いて一八年間の永きにわたつて門前払をつづけてきた同国連邦最高裁判所が、一九六二年にいたつてはじめて司法審査に親しむことを承認し、そのわずか二年後には違憲判決の宣言をせざるを得なくなつたこと、(注七)すなわち、司法府の施した手術によつて、この問題のはらむ「選挙における平等原則」の危機を克服し得たことに想いをいたすべきものである。

(注一) Wesberry v. Sanders, 32 U. S. Law Week, 4142, at 4143(1964)

(注二) Yick Wo v Hopkins 11 8 U. S. 356(1886)

(注三) U. S. v. Carolene produc-ts Co., 304 U. S. 144, at 152 n 4(1938)

(注四) Mashville C. & St. L. Ry v. Watler, 294.U. S. 405 415(1935)

(注五) “malapportionment”

(注六) Lewis, Legislative Apport-ionment 71 Harv. L. Rev. 105 7. at 1097(1957-58)

(注七) 所謂門前払い判決としては一九四六年の Colegrove v. Green 328 U. S. 549が著名であり、司法判断適合性を承認したものとしては一九六二年の Baker v. Carr, 369 U. S. 186(1962)、違憲判決としては一九六四年の前掲判決(Wesberry v. Sande-rs)がある。

別紙三

原告準備書面 (二)

被告の主張等に対する反駁

一、被告は、昭和三八年(オ)第四二二号選挙無効請求上告事件につき昭和三九年二月五日言渡された最高裁判所大法廷判決における斎藤裁判官の補足意見を援用して、議員定数の配分に関する公職選挙法別表第二の違憲性を理由に本件選挙を無効とするならば、その結果に基づく再選挙はこれを行なうべき事由が生じた日から四〇日以内に行なうなければならず、かつ、告示後投票日までには少くとも二三日の期間を置かなければならない関係上、右別表第二はこれを、事実上、一七日間で改正しなければならないことになるが、これは実際上不可能であるから、延々として無効の選挙を繰返していかざるを得ず、ここに「収捨すべからざる混乱」が発生することは明らかである旨主張する。

二、まず、なるほど被告主張のごとき事態が発生しないとは誰しも断言し得ないところではある。しかしながら、これらは専ら立法府たる国会において処理すべき事項に係る。(国会は憲法に牴触しない限り法律を自由に改廃し得るのであるから、右事態回避のためには例えば特例法制定の措置をとること等も充分に考えられるところである。)

思うに、そもそも立法府たる国会が何をなすであろうか、何をなさないであろうか等という点をその余の国家機関において忖度しまたは喋々すること自体、単にその機関の越権の極みであるのみならず、またもつてもし司法府たる裁判所においてその挙に出るとするならば、これこそ所謂「政治のしげみ」に自ら踏込むことにほかならず、政治的であつてはならないと念じつゝ実は最も政治的であるとの誹りを免れないものというべきである。

三、ついで、原告等は、自ら百歩も退いて、被告の所謂「混乱」の発生を想定した上で、本件請求の帰趨を検討する。(なお、被告の所謂「収拾しがたい」とは言葉のあやであつて、程度の大なること指すものと善解する。)

(一) 思うに、ここで予見可能の前記「混乱」は謂うなれば「正義実現のための混乱」である。それは民主主義的正義実現のため起るべくして起るもしくは起らねばならないものである。しかしてこのことは、原告がすでに数次にわたり準備書面において縷々主張してきたところによつて、就中アメリカ合衆国においても永年の努力の末ようやく獲得し得たその歴史によつて明白であつて、今更、ここに再論の要をみないものである。

ただ、たとえ正義実現のためとはいえ、かゝる場合に司法府がイニイシャティブをとることになつてもよいかという問題についてはかのフランクフルター判事および斎藤朔郎裁判官が説いたごとくこれを消極に解することはそれなりに一見識ではあり得よう。しかしながら、すでに最高裁判所大法廷の多数意見がこれを積極に解したものと理解し得る以上、その立場に立脚しながらなおかつ右「混乱」の発生をおそれることは自らの論理を曲げるものと評せざるを得ない。

(二) さらに右の論点から波及する問題として、第一には「参議院の半数改選議員の選挙が全部無効となるような事態が発生すれば、国会の機能は全く停止してしまうであろう」との見解(前掲斎藤裁判官の補足意見)、第二には「東京都の選挙を無効とすることによつて同時に行なわれた全国の地方区選挙が当然に無効になるのか」という疑問(田中真次元最高裁判所調査官「議員の選挙区への配分と人口比率」ジュリスト二九四号五〇頁)、第三には「再選挙までの期間に別表二の改正を行なうことは事実上不可能であるから『選挙の結果に異動を及ぼす虞』がない」との解釈(芦部信喜東京大学教授「議員定数不均衡の司法審査」ジュリスト二九六号五一、五八頁)について触れれば、

第一については、本件においても東京都選挙区選出議員選挙のみが無効判決の対象とされるにすぎず、かつ、後記のごとく選挙の当然無効は認められ得べくもないものと思料されるので少くとも本件においてここでそれを論ずる実益は皆無に近いが、強いて述べるならば、論者のいう半数議員選挙の全部無効と同一の事態は必ずしも選挙無効判決によつてのみたらされるものではないのであるからこの点からしても本点は論及の要に乏しいものというのほかなく、

第二については、公職選挙法第二〇二条ないし第二〇五条の各規定の体裁からいつても選挙の当然無効は認め得べくもないものと思料され、

第三については、その論者が「選挙の結果に異動を及ぼす虞」という選挙無効の法律要件に関する該事件原審の解釈上の誤りを指摘した点は正当であり、また、その理論構成によつてこの種の問題の実効ある解決を狙つた苦心には深く敬意を表し得るが、「事実上の不可能」のゆえに「結果に異動なし」とする立論は立法論での解決事項を不当に解釈論に持込む誤りを犯するものと考えざるを得ない。

(因みに「議員定数の選挙区への配分を定めている法律の規定(を)……違憲と判断して選挙を無効としても選挙が無効になるのは、その選挙区だけの問題であるし(本件の場合、東京都選挙区)、その他の選挙はそのままであるとすれば、訴訟の実質的な目的は達せられない……」との見解(前記田中真次「選挙関係争訟の研究」(日本評論社)六五頁)があるが、所論においては訴訟当事者就中原告側の真の意図が充分には認職されていない憾みがある。該訴訟の「実質的目的」は、国会をして適正な議員定数配分立法をせざるを得ない事態に追込むところに存する。したがつて、同時選出議員選挙の全部無効の事態を招来することはもとより、一選挙区の選挙無効判決すら必ずしも必要としないのである。議員定数の各選挙区への配分を規定している公職法別表第二の違憲判断が判決理由中で示されれば事足り得るのである。前記の「実質的目的」は、憲法九九条(憲法尊重遵守義務)および最高裁判所事務処理規則第一四条(違憲裁判の公告)の各規定の運用によつて達成されると考えられるからである。)

以上のとおり前記別表第二の違憲性が当然に「本件選挙の結果に異動を及ぼす虞」という要件を充足させるものであること自明であるから、被告の所謂「混乱」の予見が本件請求棄却の論拠たり得ないことまたもとより当然である。

別紙四<省略>

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